Tokyo 1月2日(火) 
         
  「資格」が社会を支配しはじめたのはいつごろで、どんな背景で制度化されるのでしょうか。
 日本にはたくさんの“資格”があります。多くは官制で、企業が内部で発行してるものや、キリスト教団の内部で、発行された教師免許のように内部にのみ有効なものまで多様です。ライセンスという意味で自動車免許は、交通事故死がゼロになったとき廃止されるのだとしたら、おそらく永久になくすべきでない資格でしょう。国が発行するライセンスは、国家権力の執行という意味で、より厳格な基準が要求されるのは妥当とされます。
 日産が、「資格のないものに検査をさせた」ということで、日産の今年度新車売上台数の伸び悩みがニュースになっていましたが、検査そのものからいえば、資格があるかないかは関係がなく、テクニックという意味では、資格なしの人がそうでない人たちを技術で上回るということがいろいろなケースでみられます。資格を発行するのが「国家」であり、ライセンスをもたないで仕事をすると罰せられるということに、官僚機構の“臭み”つまり、新しい資格が生み出されるたびに、“新しい天下り先”が生まれるというシステムが生まれていて、要はシステムの創成が優先事項であり、そもそも資格などなくても運用され、それで仕事ができていたところにいちいち「官僚的しきり」を意識しなければならないという社会になっているのは、制度そのものが“金属疲労”とおなじで、弾力性を失い、はじめは産業のためにつくられた制度が、やがて反対に産業界にとって「障壁」にもなっていきます。
 けれども、いろいろな場面で「資格あるかないかは問題ではなく、すべてはどんな仕事をするかあり、資格があるから良い仕事ができるとはかぎらない」というのは真実でしょう。 日産の例からいうと、人の命を守る車のことで、厳格な検査の運用は必須で、会社にとって今回の処置が厳しいのはやむおえないと思われます。けれども、たとえば政府がさかんに言う「危機管理」という点からいえば、“資格の支配”が企業の活力を失わせたり、無駄な時間を使わせたり、ほんとうに官僚の利益のためだけにやっているのではないかという“資格”が爆発的に増加しているのは問題です。しかも、一端制度としてつくってしまうと「資格」を廃止することは非常に困難になります。それはいろいろな問題があって、たとえば危機管理。危機管理ということからいうと、何のための資格制度なのかというところから考えると、資格制度そのものが足かせになる場合があるのです。「資格のない人にやらせてはならない」という考えの根本が間違えているのではなく、平素からどのようにしたら弾力的に運用できるのか制度全体をもっと“ヒューマナイズ”しておかなければならないと考えます。資格がない場合でも、たとえばいざというとき「それは資格がないので動かせない」「それは許可がおりていないので」といわなくてもいい範囲を徹底的に議論し、運用範囲を厳密に決めておくべきなのだと考えます。
 安全性やつくりだされるサービスの質の向上に資するためには、“資格”そのものが現実にたいしていかに弾力性をもつのかが大きな課題となると思われます。日本社会が“弾力性”に馴染まないのではなく、多くの問題は日本が官僚社会となっているためであり、つねに官益や省益を優先するようになっているところを「アウトソーシング」するだけで解決すると考えます。もちろん、それは官を優先ではなく、国民の安全と平和と豊かさを守るためのアウトソーシングという意味でなければなりません。それは、学校制度と医療制度の周辺でひきおこされる現代社会の諸問題とも通じています。わたしはホームスクーリング(ホームエジュケーション)という課題から、学校制度の硬直化を問題にしてきましたが、さまざまな社会制度のなかにも、国家がのりだしてきた“しきり”が増加することによって、ほんらい生かされるべきものが生かされないとか、思いやりとか憐れみとかいう人の心さえ蝕むようになっていると考えます。子どもを教えるのが「資格をもった教師によらなければならない」という通念がとんでもない“時代錯誤”であると、米国をはじめいまや世界のホームエジュケーターが証明してくれています。なんでもあてはまりますが、制度の廃止がいつも最善だとはかぎりません。“現代化”や“制度のノーマライゼーション化”を急がなければなりません。 

 それにしても安部さん。ほんとに気分が悪くなるので、写真や動画みるだけも抵抗があるのですが、モリカケ問題など、国民の見る目が厳しくなっているにもかかわらず、「へらへら」としていられる状態は、すでにネットでも話題になっていますが、「ラリッている」のが疑われます。
 もはやくすりの力を借りないと、つまり頭のなかを完全に“シールド化”して外にたいして心を閉じないと、(あくまで想像するだけにすぎませんが)、普通の感覚で平気ですごすことすら難しいと思われます。