Tokyo 12月24日(金) 
         

わたしはあなたがたの祭りを憎み、退ける。あなたがたのきよめの集会のときのかおりも、わたしは,かぎたくない。たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、 穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれらを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。   あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさ せよ。(アモス書5章)
  
 国家が正義を失うと、国家の存在そもののが脅かされます。保守主義の仮面をかぶった安倍政権は、日本の実質的な共産化をめざしていて、ひとつの価値観だ けを公的に認めて、それ以外の存在を許さないという悪質なものとみうけられます。ナチスドイツを模範としているからでしょう。いまや正義を実現したいとい う願いはキリスト者だけのものではありません。
 安部さんを含めて“キリスト教シンパ”を偽装しているだけなのですが、キリスト者より、むしろキリスト者以外の方に社会正義への渇望がみられます。教会 が世にたてられている所以は宣教活動にあり、社会問題に無関心であってはなりませんが、それは本質的な課題とは違うからです。けれどもキリスト者は、社会 正義の実現や政治の分野での正義の実現にむけて努力することが、“キリスト者の隣人愛”を試される最先端なのだと知っておかなければなりません。キリスト こそは正義を愛され、社会に正義がもたらされることを切望しておられるのです。
 世論のうごきにも全く馬耳東風とみえる安部首相です。
 国のトップが腐っているために、各方面での深刻な心の腐敗がいまや“国難”として具現化しています。現象面だけでみると絶望に支配されそうになります が、神が正義を愛され、正義が促進されるのを喜ばれるのだとしたら、そこに希望をつなぎ止めておくべきなのだと思います。国がすべての人の豊かさと平和と 幸福をもとめる体質を回復できているとしたら、社会正義にたいしてのあきらめのない固着こそが、キリスト者であるとそうでないのにかかわりなく、神が喜ん でくださることなのだと信じます。