Tokyo 12月17日(日) 
          
 英語 が自由につかえるかどうかという意味では、書いたり読んだりはなんとかついていけますが、私の場合、いまだにヒアリングの力が弱く、スピーチをきいてもわかるのは全体の80パーセントくらいです。日常生活には支障ないレベルであるとはいえ、ネイティブとの細かなやりとりはやや障碍を覚えます。そして、アクセントなどに地方の訛りや英語に母国語の影響があるような場合にはさらに聞き取れる内容が限られます。
 ホームエジュケーションにおいて英語教育をどうするのかとう課題はかねてからみられるものの、大切なのは言語そのものがコミニケーションの道具なのであり、意思疎通ができるかどうかという意味では、外国語を学ぶのも悪くないですが、まずは母国語である日本語を自由自在に使えるようになるのが先決なのではないでしょうか。
 外国語を母国語と同じようにつかるバイリンガルというのも悪くないですが、バイリンガルそのものをホームエジュケーションの目標にするのはやや的はずれなように思います。英語圏で生活をはじめると、おそらく数ヶ月先には母国語と同じレベルで使えるようになるとしても、問題はそのさきであり、たとえば数年間英語環境のなかに浸かっていると、こんどは次第に母国語を忘れるようになるのです。
 おそらく少しの間でも、英語圏に旅行するような経験をするだけで、日本でホームスクーリングをおこなう子どもたちにとって、貴重な学習の基礎ができあがると思われます。語学そのものが数学と同じように“相対的価値”しかないのだと思われます。
 英語と日本語を自由に使い分けるというのは、それほど重大な能力ではありません。
 子どもがたちが学習しなければならないのは、道徳のルールが社会生活と個人の生活を律していること、社会のルールとは「日本国憲法」であること。そして日本の歴史は“沖縄の歴史”から学び始めなければならないということです。過去に「ホームスクーラーの沖縄学習旅行」を企画したものの、参加者がなく企画倒れになった経験があり、それもひとつのトラウマなのですが、日本人の常識として、「沖縄の歴史を学ぶのを優先することがすなわち日本史の学びの基礎」というのは今も信念としては変わりません。
 科学は、物理や生物などの“しくみ”を理解する上で、聖書信仰の土台にたつことが最もリアルな助けになります。かえって創造論に立たないと科学的知識の土台がものすごく曖昧な状態におかれるわけで、ましてや進化論などの“嘘”に立脚すると、“空想”の上に科学的知識を構築するようなものであり、子どもたちが事物の断片だけを上面に学ぶだけで、リアリティそのものを学べなくなる怖れがあります。
 それゆえに、キリスト者の立場で科学を学ぶことこそがリアルな世界について学ぶための、(あえて)唯一の道と呼べるかもしれません。 
 
 話題は全く違いますが・・・、
 いまや、安部首相と同一視されないことが、せめて普通の日本人であることみなされている証明となります。ごく普通の日本人であれば、あんなおかしな日本語が使わないし、平気で嘘や盗みをするようなことはせず、隣人への誠実な態度を尊ぶと思われるからです。戦争や武器が好きな人はいるでしょうけれど、安部さんほどではないでしょう。