Tokyo 12月15日(金) 
          
 ネッ トで、ノーベル平和賞を受賞した「ICAN」の事実上の顔として活動しておられるサーロー節子さんの演説を聴きました。
 「核兵器」と「核の平和利用」、それに原発の問題にこだわってきたつもりですが、聖書から核技術そのものを否定する論点を引き出すのは難しく、核兵器や原発が存在してしまった背景について、たとえば高木仁三郎さんなどがキリスト教プロテスタントの影響を指摘しておられるのであり、とくにプロテスタントの改革主義神学が核兵器開発にあたえた“バックアップ”は否定できないのです。
 レントゲンなど核の技術が医療でつかわれているほかにも、現代社会と核技術はすでに密接不可分となっているとしても、その反面、問題は「核兵器」にあるといえます。安部さんに代表される「核兵器によって平和の均衡が保たれている」という考え方に根本的な欠陥があるのは、核兵器が使われ始めたとき、それは地球の壊滅を意味していることになるからであり、“恐怖の連鎖”によってみせかけの平和のような状態が生み出されたとしても、力によって保たれる平和とは、力のバランスが崩れたとたんに全崩壊する危険性を含む、サーローさんのいう「悪魔」のやりかただからです。平和の名をかたり人々を安心させるようにみせて、ねらっているのは人殺し以外のなにものでもないのです。核兵器や核兵器開発とはそのようなものだと世界に向けて発信しておられるのはとても貴重なのでした。
 被曝者の立場から、核兵器には存在理由そもののがないと語られた歴史的な意味は大きいでしょう。
 それをなにひとつ報道しなかったNHKの体質もまた酷い。これでよく“公共放送”などといえたものです。恥ずかしい限り。