Tokyo 12月9日(土) 
          
 安部首相が権力の座から引きずりおろされない限り、「証拠隠滅」や「国策操作」はおろか、いよいよ「暗殺」の恐怖も表にあらわれはじめています。佐川財務省長官は、安部さんに次に消されるかもしれない筆頭であるに違いありません。普通に街を歩くだけで身の危険を感じているはずです。現行カンボジア政権が民主化と逆方向に行っているとされますが、どんでもないこの日本こそ、いわゆる先進国ではなく、まぎれもない恐怖政治のただなかにいるのではありませんか。
 自分の意に沿うものには、悪も悪でなくなるのですが、反対するものは留置所にぶち込み、犬NKや大手メディアにも安部礼賛をたたきこむ。このような政治のどこに民主主義の果実がみられるというのでしょう。選挙は「国連監視団」によって実施されるべきです。そして安部さんの息のかかった選挙請負会社にすべてを任せるのを止めるべきです。公正な選挙が具現化されたのちに、安部さん夫妻の国家犯罪のすべてが白日(はくじつ)のもとにさらされるべきです。天皇夫妻のお怒りが相当のものだそうですが、ほとんどの日本国民は、いまや狂気に満ちたとさえいえる安部さんを受け入れるような愚か者ではないと考えます。

 話は変わりますが、先日、車を修理していただいている間、時間があったので、近くの古本本屋さんで本を物色。そこで偶然、政治学者の坂本和義先生が編集された「暴力と平和」という本をみつけました。(朝日選書200)
 そこに、イヴァン・イリイチの小論文「平和とは何か −暴力としての開発」が掲載されていて、パックス・エコノミカという表現にいまさらながら、現代社会の経済構造のもっているゆがみの実態を自覚させられました。パックスエコノミカの核心部分を軍事産業が担っているという認識ばかりではなく、キリスト者として社会における課題として“開発と自然”という問題から、「原子力の平和利用」をどう考えるかという未解決の課題をもう一度思い起こさせてくれました。
 さらにいろいろな本を読まなければならなくなりそうです。