Tokyo 11119日(日) 
     
 アンスクーリングのヒント
 −−−常に本物を与える

 ほんものではない食品が多数出回っています。醤油も、“醤油味”に近づけるための添加物が多く含まれ、ジュースも“本物らしい味”に近づけてありますが、香料が多用されていると表示されています。ついに本物でない味に慣れてしまうと、ほんとうの果実や野菜などの味がおいしく感じられなくなるのであり、それが健康にとってどれほどマイナスなのか考えてみたこともありません。材料のコストをできるだけ安く調達するための努力も、企業努力なのでしょうけれど、そのために犠牲にしている新鮮さはいったいどれほどのものなのでしょう。コスト削減の隠れた部分に、放射能で汚染された食材があります。偽の安全宣言を出している安倍政権のもとでは、どれくらい検査がまともにおこなわれているか疑ったほうがいいでしょう。健康のためです。とくに次世代を担う子どもたちの学校給食によって蓄積された内部被曝が懸念されます。
 ほんものと偽物を見分けるために、子どもの頃から訓練が必要です。学校教育の欠点のひとつは、子どもには“本物”を与えないでおいて、予備知識やシュミレーションみたいなものを使って疑似体験させておいたほうがいいという考え方があります。
 ホームエジュケーションの考え方の大切な根幹の一つに、子どもたちに与えるべきは、本物らしくみせた偽物ではなく、常に本物を見せるか体験させるかすることによって、“本物か偽物かを見極める力が養育される”とい考え方があります。おもちゃを与える年齢というものがあるのだとしたら、子どものおもちゃなどがなかった時代の子どもたちが、現代に比べて劣っているのかという点からいえば、現代人の考える力がはるかに劣化しているとされるのであり、もちろん「一億総白知化」を推進したテレビの影響もその一つ。けれども、テスト勉強をほんものの知識と勘違いするとか、ペーパーで百点とれると“頭がいい”とか“自分は天才なのかもしれない”と思うとしたら、劣化どころではなく、大きな間違いのなかに迷い込んでいるといわざるをえません。算数・数学ができる子が頭がいいとか、いろいろと哲学的に考えて、いわれたことを機械的に実行できない子どもをあたまごなしに能なしとみなすのはとても愚かなことだと思います。
 家庭環境からテレビをなくするのも大切です。健全で安全なインターネットを与えるだけで、教育目標はほとんど達成できてしまいます。親が示すのは道徳的指針であり、とくにインターネットの利用については、父親の役割が最重要な課題だといえます。
 わからないことがわかるようになる喜びとか、困難を克服する態度、さらには隣人の心に共感できる魂は、数学の難問が解ける能力よりはるかに優れていると考えます。学校教育のなかでも数学うみだす歪んだ優越感や、歪んだ劣等感を回避できるのもホームスクーリングの魅力です。
  −−−−考える機会と経済的に自律するべき機会を奪わない
 教師が教えるというのも、子どもたちに考えさせる機会を奪うのです。
 教育の最先端というのは、“教えない”“教師がいない”ところから出発するのであり、親の役割は教師ではなく“伴走者”なのだとわきまえておかなければなりません。「考えさせる」とか「答えを教えない」というより、子どもたちの興味をもつことについて、親が立ちはだからないようにするのです。学校教育の枠組みでしかものごとを考えられない親であれば、ホームスクーリングをはじめないほうがいいと考えられたほうがいいでしょう。
 考えるための有効なヒントなら与える。答えは教えないが、経験者として優れた道案内ができる。ホームスクーリングでは、そのあたりに親の役割がありそうです。 経済的にはアルバイトができる年齢になったら自分のことは自分でする。親は支援しない。20才を過ぎたら親に支えられるのではなく、親を支えるようにならなければならない。過激すぎますか?いえ、わたしは全然そう思いません。