Tokyo 11月1日(水) 
     
  人が自分の死のために備えるというとき、りっぱな葬式と墓それに死後のための“投資”が全く意味のない無駄なお金であることをどれくらいの人が知っていることでしょう。骨になった人の体は土に帰るだけです。霊魂はある人は瞬時に主のもとにめされ、ある人は裁きの日まで黄泉におかれます。すべての人が復活して主のまえにでることになります。
 葬式の意味は、亡くなった人が後代に引き継ごうとして示しておられた遺志を確認すること意外にあまり大きな意味はありません。時間とお金をそのような“過去”のためにつかうのは空しいと想います。そう想うのは私だけなのかもしれませんが。「天に宝を積む」と心に決めた若い日から、わたしは地上に安楽の場所を求めることはいっさいしなくなりました。
 どれだけのお金を稼げたとしても、びた一文も死後の世界にもっていくことはできません。いったい主の栄光のためにどれだけの業をおこなうことができたかそれだけが問われます。それとて、どれだけの業をおこなったかを、自分の利益をより多く引き出すための“担保”にはできないのであり、すべては全くの恵みによります。死後に関して、キリスト以外のものに依存できないのは確かです。それは当然信仰においてしか受け入れることはかないません。
 あなたが、死後の命を信じ、そして死後に続く命のために今を生きているのだとしたら幸いです。

 どうしたら“葬式”や“葬り”などを経ずに天にいけるかどこかに最善の方法はないものでしょうか。