Tokyo 10月20日(金) 
     
¶ 言語の多様性。聖書は言語の多様性が生まれた起源を、“バベルの塔”に示しています。つまり、言語の統一を背景にして生まれたニムロデ王国という統一国家が神にも到達できるかのような傲慢さを呈するようになり、神が恣意的に言語を混乱させたのが言語多様性の起源です。
 一方で、進化論の立場にたつと、言語多様性の起源についての説明は非常に難しい仕事になるに違いありません。
 神が瞬時に言語を混乱させたという“史実”に対抗することになるためであり、さまざまな議論がなされてきましたが、そのどれも説得力をもつとはいえません。→「言語の起源」  ウイキペディア参照

 まずは、生物が微生物から“進化してきた”という時間軸が想定されます。過去のどこかに言語多様化の時点があるに違いないと。
 言語の多様化の現象が、いったいいつから、何に起因してひきおこされたか探索することになるのですが、人の知恵には及ばないのです。すべてを空想にたよるほかありません。進化論によると、進化がおしすすめられる原理は「自らの益になるような自己努力を遂げてきた」とするのであれば、言語の混乱の事実はむしろ積極的退化としかいえないのであり、もともと“分断化”に大きな意味があると理解する以外にどのような説明をあてはめても、現実を空想でねじ曲げるような無理に陥るしかありません。人の能力だけで、非常に複雑な言語文法システムを瞬時に作り出すことは不可能です。「霊長類」と呼ばれるサルのような種族が、人に対抗して“言語”を身につけるという空想話は、作り話としてのおもしろさは別として、現実にはありえないことです。
 動物からおそわれたなど被害を受けるなどはありますが、もともとはすべて生物は人のために創造されたのであり、ノア以来、明確に人の食物ともされています。動物たちははじめから人を畏れるようにつくられていて、人が愛でることができるように造られているのです。言語も人に与えられた固有性の一つであり、意思疎通が目的でした。英語など外国語として言語そのものを学ぶとか、たとえば母国言をつかった学びでも、言語の起源が神の意志にあると受け入れているか否かは、学習者にとって決して小さくないと考えます。わたしは、言語学習においても、キリスト教有神論に立脚したホームエジュケーションの優位性を確信しています。

¶ たとえ自公民圧勝となってしまっても、ほとんどの国民が「不正な選挙結果」であると認知できるという意味では、決して無駄な選挙ではないと考えます。大多数の国民の現政権への怒りは相当なものになっているために、“勝っても”安泰では住まされなくなっているのですが、他人事で済まされず、安部さんとその一味は悪魔に魂を売って憲法改悪の実現ををねらっているのであり、ネット情報によれば、「国防」という観点からも、安倍政権がいかに危険な存在であるかあきらかになっています。
 選挙に行く人たちが6割を超えると、不正選挙に歯止めがかけられると伝えられていて、どうせ自分の一票などたいしたことないとかいって、もし安部さんに事実上のOKを出してしまうと、日本は時間が逆戻りし、戦前・戦中の独裁体制となるという危機意識がなければなりません。反対のための意思表示をしなければ賛成しているとみなされます。今回こそは、何があっても絶対に選挙に行くべきです。