Tokyo 10月5日(木) 
     
 最近サムソンからたくさんのことを学ばせていただきました。
 士師のように強いリーダーが上意下達の手法で民をひっぱるという時代は、やはり歴史の過渡期であっても、成熟した民族の姿とはいえないのでしょう。ものごとの肝心な決めごとは、強いリーダーがおこなうことで、民がまとまったようにみえて、“自分たちで何も決められない”“自分たちで何も考えることができない”というロボットのような組織体ができあがります。一極集中型のシステム。
 どんな目的で、権力の一極集中がおこなわれるかによります。構成員は何も自分で考えず、決めることもできないかわりに、一つの指令や目的に風になびくアシ(考える葦ではなく)のようになります。国家レベルの独裁でいえば、北朝鮮がそれにあたるでしょう。
 キリスト教会でいえば監督政治。牧師が最終的になんでも「王様」のように決めるために、一応会議の形をとっていても形式であり、議論すらすでに結論が出ています。役員(長老会)は全員イエスマンによって構成される結果になります。牧師が自分の意見にそわない人材を排除するからです。
 構成員の一人一人が自分で考え、自分の意志で決断し、全体にコミットできるかどうか自分で決めるように「育成」されなければ、どこでもどんな組織体でもそのようになります。会社組織は幹部とそうでない部下に種分けされるのですが、基本として構成員の養育を「命令に従わせる」ことだけをねらうと、組織の外と内の使い分け、下のものを軽視し上のものに媚びるという体質をもつなど、独裁のもつ負の要素が生まれてしまうのです。
 小池都知事のねらっている手法は、ひとつは騙しによる囲い込み。ひとまずどんな手段をとっても囲い込むこと。次に、いったん囲いのなかに入れたものたちをどのように懐柔するかが最大の課題になるのであり、歴史修正主義を基本にして、非常に問題のある歴史認識を徹底的に植え付けることからはじめて、憲法改悪の先兵として養育するようになります。囲いの中に飛び込んだ議員たちは、飛んで火に入る夏の虫。
 付和雷同ではなく、ものごとを自覚的に独立して考えて判断できるようになるのがそもそも教育のもつねらいです。学校教育であれ、ホームエジュケーションであれ本質はかわりません。
 もし、子どもたちのインデペンデンシーを育てられないホームエジュケーションであれば、それは確実に学校教育より悪くなります。
 どのようにしてこの危険を回避できるかが鍵です。