Tokyo 9月24日(日) 
     
  グルードのバッハとジャレットのバッハを聞き比べてみました。有名なグルードの演奏は、若い頃からなぜか馴染めず、あくまで人の好みなので、グルードを絶賛する評が多いので、おそらく自分は未熟で、グルードの音楽を理解できる要素が育っていないのだと思うことにしています。 
 たとえば、平均率の最初の Prelude & Fugue 01 in C, BWV846 - 1Prelude グルードは一つひとつの音を独立させるように、もしくは言い聞かせるようにしているのですが、ジャレットの場合、音は切れ目無く流れます。ジャレットがジャズミュージシャンであることと、グルードのバッハ演奏家としての名声が非常に高いのは周知のことでしたが、ジャレットの演奏が、普段の演奏とは違うジャンルに挑戦しているかのようでもあり、専門以外の分野に手を出しているというより、もともとクラシックとジャズの境界線をどう考えるかというところに根ざしているのかもしれないと思いました。ジャレットにとって、ジャズ演奏とクラシック演奏は融合されているのではなく、音楽として両方を尊重しているとネットに書かれていました。グルードはジャズに関心を示さなかったとされています。バッハにたいして、バッハ以外の音楽を相対的に低くみる傾向がグルードにあったとは思われません。けれどもジャレットはジャズ音楽を充分に理解したうえで、クラシックをジャズ化したり融合したりすることなく、むしろ、本来バッハ音楽のもつ“即興性”が演出されているかのような不思議な楽しさがあります。
 バッハが即興性を重んじているのであろうというご意見は、パリで客死した森有正さんの著作集にもみえた言葉でした。ジャズを尊ばなかったとしてもグルードがバッハ演奏の巨匠であることにはかわらないでしょう。いいかえれば、ジャレットの演奏には「素人が玄人の業に挑戦し、ついに自他共に認めるレベルに達した」というような、つまり、普段は講壇の上にたたない長老が素朴な言葉で語る説教にものすごい説得力があるのに似て、「謙虚さのようなもの」があるのかもしれません。いえ、グルードが謙虚でなかったという意味ではなく、いえあくまで好みなのでしょう。それにしても、バッハが生きていたら現代のジャズとジャズ音楽の即興性をどのように評価するだろうかとなど考えていました。そんなことは当然わかりません。でもすごく興味があります。さて、ひとつジャレットのゴールドベルグを聴いてみるとしましょうか。(これは日本での録音。日本人がつくったハープシコードの音だとのことですが、これもまた実にすばらしい。)