Tokyo 9月17日(日) 
     
  草葉陰足をもがれし蛙あり
  
  さるすべり紅白の道を造りけり
  
  鬼アザミ主の冠を思いけり

  つかの間に地表覆いし野草かな

  ダンゴムシひこばえ傘にひぃふぅみ
   

   日頃、造園業を生業としているため、いろいろな植物や虫たちのことを学ばせられています。
   あえて俳句の解説はつけません。
       観賞用ということで。  
 

   子どもは遊んで育つ
 
   ひとむかしの日本人なら当たり前にそう考えていたのですが、社会のなかで学校が支配するのが大きくなった結果、子どもたちが学校で育つという幻想が一人歩きしはじめたのだと思われます。戦後の学校はもともと“米国による愚民政策”というのが私の持論で、とくに英語学習に顕著にあらわれていて、さらには歴史教育を「暗記科目」とみなすようになってしまったところに知性の劣化がはじまっています。つまり、学校は愚民製造所です。ものごとの過去をさかのぼってみるというのはいろいろな学問に応用できます。学問相互の関連性ということにおいて、子どもたちは歴史から何かを学び取ることをさせてもらえないために、今を改善したり改革したりする方法すら見いだせないでいます。
 子どもたちを賢く育てようと真剣にお考えならば、学校には行かせないほうがいい。
 親の考え方として、「子どもたちを遊ばせておけば勝手に学習力が身に付く」というのは極論。しかし、全く間違いというのでもありません。つまり、机に座って読んだり書いたりする時間だけが学びでそれ以外は“遊び”と考えるのがいかにおとなの勝手な言い方なのか、これまでホームエジュケーションを実践してきたものとして明確に理解するようになっています。子どもたちは遊びからはじまったことのなかから学び方を学習するのです。教科書を暗記してペーパーに再現できるのも知恵の一つですが、人のもつ知恵の多様性からしたら、なんと貧相な視点でしょう。学ぶための方法を身につけたら、親があれこれ教える必要もなくなります。それこそがホームエジュケーションの醍醐味です。