Tokyo 9月15日(金) 
     
映画「ハクソウ・リッジ」

 第二次世界大戦で、沖縄戦で日本軍と闘った二等兵。名はデズモンド・ドス。実話を映画で忠実に再現するのがねらいで、戦闘シーンがCG技術の発達でよりリアルになったという話題しか日本では取り上げられないのですが、「良心的兵役拒否」という立場が絶対に人を殺すための武器を手にしないと決めたとき、その考え方がセブンスデーアドベンチストという米国由来のプロテスタントグループを背景にしているところに注目させられました。
 話題が映画のことから逸れますが、武器をとることについて、キリストは受難の夜、弟子たちが武器を携帯するのを許しました。(ルカ22:36 「剣のないものは、衣服を売ってそれを買いなさい」) その一方で、思いあまってローマの兵士マルコスの耳を切り落としたペテロを主は諫められ「剣をとるものは剣で滅びる」(マタイ26:52)とあり、武器を携帯するのを許容された一方で、武器を使用することを禁じられているとも読めるのでした。「良心的兵役拒否」という意味では、セブンスデー以外にも、一般的に異端とされるエホバの証人の信徒のその信仰に基づいた行動を記した『岩波新書818 兵役を拒否した日本人−灯台社の戦時下抵抗−』として、エホバの証人の信徒であった明石順三の名が知られています。映画のなかでドスは、信仰由来の態度であると理解されず、“臆病者のドス”という不名誉なあだ名がつけられたのでした。
 映画を通じてではありますが、良心的兵役拒否の立場と伝統的プロテスタントの立場が峻別されなければならないとみとめるにせよ、人の命を奪うことに必死 であるよりも、なんとかして一人でも救うことのために命をかけるほうがキリストの心により近いのだと確信させられました。
  ドスの信仰的背景である「セブンスデーアドベンチスト」の信仰と教義について詳細を述べる暇(いとま)はありませんが、映画の主人公が米国人の心をとらえたとしたら、どのような意味があるか考えていました。つまり、教義の上であきからに異端、もしくは正統主義とのボーダーに位置づけられていたとしても、沖縄戦という激戦の真っただ中で、ひたすら一人でも多くの人の命を救おうとしたドスの行為を称賛に値するとみたとき、「キリストの業」の適応範囲を、限りなく狭くするのではなく、「主は一人でも多くの人が悔い改めて救いに至るように、忍耐しておられる」とあるのにしたがって、敵であれ味方であれ、命を救うことについて、最善を尽くそうとしたドスの姿に、わたしはキリストの姿を認めざるをえないのです。 「国家を守るための軍隊」としての自衛隊が聖書的にどう理解すべきなのかというテーマについては、わたしはすでに引用したルカ福音書の言葉によって、自衛のための武器を所持することはキリスト信仰と矛盾しないと考えています。一方で、日本人の性格を考慮するとき、武器の所持を国家が認めないというのは最善なのでしょう。
 信仰の立場は違うとしても、マハトマ・ガンジ−など、仏教徒でありながらキリストの心を実践しておられる方の実践に心を留め、尊敬する態度は大切にしたいと思います。