Tokyo 9月4日(月) 
     
 サムソンの信仰

 サムソンは、人生の最期、それも亡くなるほんの数分前に、神を受け入れたと思われます。サムソンをめぐって、これまでハリウッド映画がいくつか作成されましたが、どれも世俗のダークヒーローと同じ扱い。暴力を意のままして、好きな女と寝る。しかも横車を押し通すようなやり方を好みました。サムソンの生き方はキリスト者の模範になりません。いえそれどころか、全く信仰に関係ない世俗の価値観によってならもしかしたら賞賛されるかもしれませんが、サムソンのいったいどこに信仰があったのかと訝しく思われるのでした。
 その生涯が宿敵ペリシテ人の手によってまさに閉じられようとするわずかな時間に、力を奪われ視力を完全に奪われたあと、煌めきの光のように信仰者の態度を示していたのです。すべてを失ったとき、自分の力や魅力、存在のすべてが主に依存していると悟ったときでした。
 どれほど信仰の名に値しない生涯を送ってきたとしても、最期の最期に全面降伏して、自分のすべてが自分の力に源泉をもつのではなく、命の起源も力の根源もすべて神に依存していると悟ったとき、周囲に仲間は誰もいませんでした。「この一瞬でも力を与えてください」と祈ったとき、その叫びを聴いていたは神だけでした。自分の目のために主の力を得て復讐を遂げたいというのでさえ、キリストが最期に「父よ彼らをお許しください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです」と祈られた主イエスと比較さえできません。事はサムソンの復讐心から出ていたのではなく、なんとしてもイスラエルを諸外国の脅威から守りたいという主の心から出ていたのでした。
 自分の存在が全面的にイスラエルをエジプトから導き出された創造主なる神に依存していると悟ったとき、彼は「信仰の人」と呼ばれるに値する場面だったのだと思います。いえ、神の力を借りるとか、神に祈り求めるという場面はあったのでしょう。自分のために神の力を借りたいという場面です。自分のために神の力を借りるというのは人の側からいうとありえるのでしょうけれど、現実は人の能力のすべては「神からの賜物」なのでした。神が働かれることこそがすべて。そこに信仰が働いたのだと思います。十字架の上で「イエスよ、あなたが御国においでになるときは、わたしを思い出してください」と語った受刑者のように、信仰者の群れに加えられたのです。
 死の時、主のまえに天国に召される人があり、“主の名によって多くの事業を成し遂げてきた”と自負している伝道者に「わたしはあなたを知らない」と宣言されるかもしれないのでした。反対に、たとえば世から捨てられ自業自得といわれてホームレスになったようなラザロのような人が誰にも看取られずのたれ死にしたとしても、死の瞬間にキリストの名を思い起こしたとき命が与えられ、キリストの代理人のように伝道者もしくは牧師・説教者として名をはせるような人でさえ、自分の栄光や栄誉のためにそれをしているのだとしたら、どれほど“結果を見たらわかる”とかいっても、主の心にかなった生き方とはいえないのでしょう。サムソンにとって死は逃れ場であり安息の入り口でしたが、主の名によってでさ、地上に栄誉や財産を築き上げたような人にたいしては「誰も二人の主人に仕えることはできない」といわれているので、世の富や名誉への拘りを完全に捨てなければ主の前を追い出されることになります。伝道者が財産をもっていたからといって、天国から閉め出されるというわけではないのですが、人はだれも罪深いので、伝道者としてはできるだけ世の財産をもたない質素な生活を送って常に最期に備えるべきだと私は思います。

 ドイツのカール・リヒターが指揮する「マタイ受難曲」を久しぶりに聴きました。
 バッハの音楽は常にそうですが、リヒター指揮によるマタイ受難曲の演奏はいつ聴いてもほんとうにすばらしい。
 若い頃からいつも感動を覚えさせられます。
 リヒターは55才の若さで惜しまれつつ亡くなったのですが、フルート奏者として有名なオーレル・ニコレが弔辞のなかで語ったとされるネットの記事が印象に残りました。やや長いですが、コピペします。
  
 「生前のカール・リヒターは絶えず働き通しでした。かのマルティン・ルターは、1546年2月16日にアイスレーベンで最後の文章を書き上げましたが、それが発見されたのは、彼の死〔同年2月18日〕の2日後のことでした。10日ほど前、リヒターは彼がいつも持ち歩いている紙片を私に見せてくれました。それは、ルターが書いた(前述の)ラテン語の文章で、ドイツ語に訳すとこんな具合になります。『ヴェルギリウスの牧歌を理解しようと思うなら、5年間は羊飼いをしなくてはならない。農作をうたったヴェルギリウスの詩を理解しようと思うなら、やはり5年間は農夫を体験しなくてはならない。キケロの書簡を完全に理解しようとするなら、20年間は国の政治に携わらなくてはならない。聖書を十分に理解しようとするなら、100年間は、預言者、バプテスマのヨハネ、キリスト、そして使徒たちとともに、教会を指導していかなくてはならない。それでもあなたは、自分を神の代理だなどと思ってはならない。そうではなく、額(ぬか)づいて祈るべきだ。私たちは、言ってみれば物乞いなのだから。』カール・リヒターは、このルターの文章についてこう言いました。『生きている限り、私は音楽を学び、音楽を自分に叩き込まなくてはならない。ただ単に暗譜するとか、芸術的に演奏できるようになればいいというのではなく、文字通り完全に。』カール・リヒターは、そんな生き方をした人でした。これほどの精神をもった人がかつて存在し、これからも良き模範であり続けるのは、私たちにとって この上ない励みになります」

 どのような栄誉や栄光ある仕事のなかでも、
「自分は物乞いに過ぎない」という自覚していたルター。そのルターの言葉を常に携帯して彼に倣おうとしていたリヒターは、音楽の完成にむけて常に謙遜に努力を重ねていました。その職人としての気風をあえて“ドイツ職人気質”と呼べるものから出ていたのかもしれませんが、ひとりのキリスト者として世にあって謙遜に生きた人なのだと思いました。