Tokyo 8月6日(日) 
     
¶ 蓮池さん夫妻を、容疑者として留置所に。
  本来は安部夫妻こそがすべての主犯であり、列挙する暇もありませんが、今日の日本のあらゆる悲惨を招いた主犯でもあります。国家反逆者として法の裁きに伏せられるべきでしょう。日本は法治国家なので、(まちがえ変換で放置として苦笑したところです)厳正な法の正義のもとに晒されるべきです。

¶ 「AKBの歌」は歌と呼べるのかどうかわからない代物、わたしのような世代には、歌として心に届かない歌もどきがほとんどです。何度も書きますが、奇をてらったような変調や、うわべのウケだけをねらったような歌詞らしきものに、人の心が動くはずもありません。AKBごときで日本全体をどうこう言えないのは承知の上ですが、どうやら日本は文化としても、戦後最も貧相な時代を過ぎているのかもしれません。いえ、一度もっとも低いところまで落ちてみたら、上昇するための手だてが見えるのかもしれませんが、心の貧困は「魂の叫び」として天に届いたら、何かが開かれるのかもしれません。

¶ サムソンが、最後にすべてのものを失い、最後に「このひとときだけでも強めてください」と祈ったとき、つまりすべてを失ったとき、はじめて神の人である本質が引き出されたのだといえます。どのようにしても、ご自分の業を人の栄光として与えないというご意志がみえます。完全に自分に失望して、神に寄りすがったとき、それまで自分の栄光しかみえなかったところに、神の威光だけが見えたという意味でしょう。
 主の名をもってはじめられたところに、熱心に自分の名を刻もうとする業にたいして、主がどのような心をもっておられるかを自覚しなければなりません。ここは自分の開始した教会だとか・・・。これは自分が著した優れた書物だ・・・とか。自分が獲得した栄誉・・・だとか。自分の説教によって人々が動かされてきただとかも。いえ忘れてはいけません。イスカリオテのユダもそのように主の名を語り奇跡をおこなうことができたのです。主の心を知ればしるほど、どれだけ人の栄光を忌み嫌われるておられることでしょう。主はご自分に帰されるべき栄光を他の誰にもお与えにならないのです。