Tokyo 7月20日(木) 
     
 ホノルル で、歩きスマホが違法行為とされたとのことで、日本の一般道でみられる光景にいつも見が縮む思いをしていた私としては、外国のマネをすればというのではなく、一般に危険な行為は、ポケモンゲームによる死亡事故などをとってみても、歩きスマホを法的に規制するような段階になっているのではないかと考えます。もともと、一般良識に委ねられるようであれば、あえて法的処置に及ばなくてもいいと考えられるのが近代社会のルールです。常識というのは、ものすごく民主化された社会の様で、市民感覚が優れているなら、歩き煙草や道路で唾を吐く等の行為をあえて法律で縛り罰則を加えるなどしなくてもいいと考えます。
 独裁国家で“法”があったとしてもそれは市民社会の常識を形成するためのルールではなく、上位下達の民にとっては支配されるための轍となるのであり「お上の意志」「勅令」。民主主義の法とは社会通念とか常識の枠組みをつくりあげるための約束事なのですが、余談ですが、このところの自治体による「健康保険料の取り立て実態」などをみると、“平等”や“権利”ですら名ばかりで、悪代官が民から搾り取るための“脅しの手口”としかみえないことがあります。いえ、ただの蛇足ですが。

 ある一般道を車運転していたある日、左手に自転車を片手運転している女子中学生とみうけし後ろ姿を見かけました。自転車を片手運転しているだけでも危険なのですが、片手にスマホをもっていて耳イヤホン。ここまでいくと、どんな事故がおこっても当たり前です。耳がふさがれているため周囲の警告音もきこえないでしょう。学校教育の有効性をいいたいのなら、せめてスマホをこのように使うのがいかに危険であるかを教えるのも“公教育”の役割なのではないかと思います。
 女性はもともとこの種の危機意識が薄いとみるのは偏見です。けれども、子どもを後ろに乗せ、前に赤ちゃんをかかえていて、しかも片手運転。片手にスマホで電話というのも目撃。
 このお母さん。こんな行為が殺人の一歩手前だということをどうやら認識されていないのでしょうね。