Tokyo 6月25日(日) 
     
 ホームエジュケーションネットワークの課題

 仕事の忙殺されホームエジュケーションサポートが思うように展開できないのがやや悔しいのですが、サポートネットワークの「理想」のようなものをあれこ れ思い浮かべていました。米国にはHSLDAの創設期からすでに各州に複数のネットワークが存在していて、コロラド州に関して言えば、小さなものから大き なものまで300以上のサポートグループが存在します。
 いくつかの特徴の第一は、それが「草の根運動=グラスルーツムーブメント」であること。
 たとえばお金のある大きな組織が支援を乗り出すとか、偉大な思想家の考え方が全国的な広がりをみせるとかではなく、個々の家庭ごと、さらにいえば結婚し子どもが生まれ、“子育て”を真剣に考え始める頃にある家庭ごとに、最もよい教育方法を探求するところから生み出されてきたのでした。アベカ出版が当初ホームエジュケーターたちを迫害していて、数が増えてマーケットが形成されたとみるやいなや支援に転じたという歴史がありますが、「ホームスクール産業」が形成されるのは2000年あたりからで、それまでは米国でも出版会社による持ち出しにボランティアのようなものでした。「これはいい教材なので、使ってみたら」というネット上の“口コミ”がものをいったのです。企業が「口コミ」風の言葉を宣伝に使うのとは違って、インターネットの威力は1990年代相当なものがあり、かのビル・ゲイツさんも、「ホームエジュケーション運動は、インターネットによって恩恵を受けた最も典型といえるものだ」と語りました。(邦訳あり「ビル・ゲイツ未来を語る」アスキー出版)
 インターネットとは、中央集権や一極集中の問題点を回避し、個々の家庭や個人を最小単位でネットワーク化できるとという性質をもつものであり、草の根運動にとって絶好のツールになったのは言うまでもないですが、インターネットはいまや世界中のホームエジュケーターがネットワーク化されるためのツールとなっています。今後の日本の積極的な展開を想定したとしても、やはりインターネットが大きな役割を果たすであろうと予測されます。そういう意味で、ホームエジュケーションは民主主義社会によって生み出される現象の最先端であり、その国に高度に民主的な社会が実現していることのひとつの証明になると思われます。

 第二に、ネットワークの健全さの指標は、個々の家庭ごとに独立性が養われることです。
 家庭が学校制度に依存しないで子どもを育てるというのは、個々の家庭が「自分で考えて、自分で経済的に支え、自己改善能力をもつ」という意味です。子どもを親に従わせるのが先決ですが、最終的に親の言うことに従わせるのが教育の目的ではありません。子どもたちに考える力、判断する力、自発的に選ぶ力、そして問題点を修復する自己改善力が養われるのを目標とされるべきです。家事手伝いからはじまって、アルバイトに入るなど、経済的な自立を促すのも大切な一つのプロセスになるでしょう。個々の独立性は、「共同力」という面で強さと弱さの両面をもちます。「強さ」とは、ネットワークを構成する個々の要素がとても強いという意味で、全体を強固にするために大切な要素となります。「弱さ」とは個々の独立性=インデペンデンシーが強いために、いともたやすく「共同」を解消できてしまうというところ。もともと、教育の共産化をめざさないのがホームエジュケーションの真骨頂なのですが、家庭ごとの独立性が保全されるためにも、「良いものを分かち合う」という情報の共有が非常に重要となります。あまり詳しくはここで述べませんがグループから自由に離脱できる“自由性”も大切です。けれども、ゆるやかな共同体という考え方が大切であり、諸外国の例などをみても、普段は全然別の活動をしていても、たとえばあるとき政府がホームエジュケーション禁止条例などを出そうとするとき、反対運動のために「共闘路線」を一時的に組むことはありえるのでした。家庭ごとの独立性が保たれると同時に、独立性が生み出す問題と課題を常に考慮するということがリーダーに求められていると考えます。

 第三に、ネガティブな言い方ですが、ネットワークが企業なり国家戦略の道具とされる要素があるという面。1990年代に最初に日本でホームスクール支援を打ち出したのは塾産業であり、出版会社やカルトのグループでした。経済的な支援は大きな力になるのは間違いありませんが、スポンサーの方針に異を唱えることが難しくなります。同時に、スポンサーの「イエスマン」であることをめざすことになり、結果としてスポンサーは贈与という名の投資とみるようになり、ホームエジュケーターたちの活動が企業宣伝や、さらにはホームエジュケーションのかたちをとってもいても、意図せずして市場原理に支配されるようになります。そうなると最悪です。出版など売れなくなるような仕事からは手を引く。そして自分たちの利害に沿わない存在を抹殺するために手段を選ばくなるからです。そうなると新しいネットワークが育てられるどころか、自分たちの利害に沿わない(もしくは反対している)グループを排除するようになります。そのようなわけで健全なネットワークは経済的には個人や企業や国家戦略から完全に切り離され、経済的精神的自主自営によって確保されているべきです。
 
 第四に、多様性を受け入れる価値観。クリスチャンがクリスチャンとしてもつべき価値観の共有はおそらく難しくありませんが、思想信条の異なる人々とどのように「共同路線」を組めるのはやや難解な課題とみえるでしょう。けれども、ホームエジュケーションが法的課題と遭遇するような場合、異なる思想信条にある人々と結びあうということがネットワークにとって必須条件となります。それがネットワークが成熟していくためのひとつの指標となります。日本の場合、ネットワークに「蛸壺化」現象、つまり入り口だけを広げるだけ広げて誰でも歓迎するものの、出口をつくらない・・・つまり自分たちのコミニティー以外との接触を嫌う身内主義の傾向が生まれるようになると、グループの存続そのものさえ、繋がっている家族が子育てしている間だけとなりえます。ネットワークが存続するとか考え方を継承できるようなビジョンをもっているかどうかが課題です。どこからどこまでが同じ、どこからどこまでが違う。そこまで認識して、それではここから同じところを見つけてどのような共同路線を築けるのか・・・そういうネットワーク同士の「健全なつながり方」が生まれるところまでいくと、日本もようやく“50年前の米国の状況に近くなってきた”といえるかもしれません。
 
日本でのホームスクールネットワークが各地に育つのはまだ当分先のことかもしれまんせんが、このようないくつかの課題をみきわめていかなければならないというのは時代がかわっても同じであると思います。