Tokyo 4月27日(木) 
    
マイノリティリポート

 我が家がホームエジュケーションを始めた1990年代。日本国内にもほとんどホームエジュケーションだけで育つ子どもはいなかったのであり、周囲には不登校から生まれる子どもの在宅状態について米国由来の“ホームスクール”と称していた数家族がおられたのみでした。
 いつの日からか、誰が言うとでもなく「メディアから子どもたちを守ろう」というかけ声のようなものが内輪にあり、つまり、在宅学習を始める子どもたちを市場にすべく動き出した塾産業や出版業界がすでに複数存在していたのであり、実態とかけ離れた取材や、不登校サイドでもホームエジュケーションが取り上げられ始めていて、不登校のための暫定的一時的な“隠れ場所”とみなすメディアの傾向がみられため、おそらくまじめにホームエジュケーションを研究している記者はほとんどいないのであり(当時としてそれは当然だったとしても)新聞記者本人がどれほどリテラシーが高くても、デスクレベルでホームエジュケーションについてさまざな偏向が加えられるということがみられたのでした。
 家族が本来もっている教育の場である家庭を神聖化するのも問題があるとしても、家庭の機能を再検討して、子どもたちのための最善の場とする努力のただなかにあるホームエジュケーターにとって、メディアからの取材を受けてもなお静謐(せいひつ)を守れるような段階ではないと判断していたのでした。今日の米国の場合は、いまやどこにいても、どの州でもホームエジュケーターがそこらじゅうにいるのは当たり前の社会となっているのであり、メディアの取材が事実にたいして偏向を与えることのほうがかえって難しいでしょう。
 「ホームスクールムーブメント」はすでに世界的な動きになっていて、ひとつの教育しか与えないと思われたイスラム圏においてすら、たとえばインドネシアで爆発的に増加しているとか、メディアは報道していませんが、共産圏であるはずの大陸の中国で北京を中心にこれも爆発的増加をみていると報告されているのでした。そこまでいくとあえてホームエジュケーターたちの側でメディアを利用した宣伝活動を志してもいいのかもしれません。
 親バカの自慢話のように聞こえるのを避けたかったのですが、最近我が家の長男がいよいよ独立したIT会社を立ち上げることになりました。
 これも、我が家のホームエジュケーション実践のひとつの結果として報告できます。
 プログラマーとしての学びは、学校に通ったわけではなく、プログラムのための機械語の習得はすべて独学。ネットを中心として、図書館の本を利用したのみでした。そのための費用もほとんどかけていません。
 長女は義務教育期間は完全にホームエジュケーションであったものの、幼稚園や、語学留学(ハワイ)、PCの専門学校に通いましたが、長男と次男は、幼稚園、小中学校、高等学校、そして大学教育も受けていません。
 独立した会社を設立する“起業”が、ホームエジュケーターのひとつの目標とされるべきという提案は米国でも、ホームエジュケーション運動の当初から存在していたかなり古典的な考え方でした。学校教育が、企業戦士として、組み込まれるためのスキルを磨くとみられるのに対して、ホームエジュケーションが生み出すのは“独立”とか“開拓”のためのスキルではないかと指摘されていたのでした。
 将来にむけて、せっかく学校教育の外に身をおいたのだとしたら、英才教育とまではいかなくても、独立性や自己修正力が必要とされる分野を描いて将来設計をされるのがよろしいかと。いえ、これも家族や子どもたちそれぞれであり、一つの事例にしか過ぎません。それと次男が就労している喫茶店(クリスチャンが経営している)で、車の免許をとらせていただけることになり、今週から仮免許とのこと。どうなるかわかりませんが、親ばかなはなしで恐縮ですが、楽しみでもあります。