Tokyo 4月17日(月) 
    

 ヒゼキヤ王にはいったいどんな変化が引き起こされたのか
 
 ヒゼキヤ王は、古代イスラエル(ユダ王国)の列王記に諸悪をみたなかで、突出した「善王」として知られていました。外国からの脅威をなくし、国内でも主の名のもとに正義と公平を実現し、さらには国民生活のため水道工事などインフラ整備にも力を注ぎました。

  その名声は国内だけでなく国外にも及び、病を得た日には外国からも見舞客が訪れたとされています。(列王記下20:12)
 ヒゼキヤが不治の病を得た日、「わたしがまことをつくし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことをおこなってきたことを思い起こしてください」と祈りました。(列王下20::3) “御目にかなう善いことをおこなってきた”という“善い”という言葉はヘブル語で「トーブ」といい、ヒゼキヤは常に、自分を喜ばせるとか人目に媚びでもなく、ひたすら主の目からみて何が善いかを判断して、行動してきたと自覚していたといえるのでした。主がともにいたからこそのヒゼキヤ王の名声。ヒゼキヤにとって善いことのすべては主からのギフトだったのでした。
 しかし、やがてその心に変化が生まれます。
 足に死に至る病を得て、祈り求めた結果、15年の寿命を加えられたのでした。
 その折りに、外国からの見舞客が訪問してきたのでした。ヒゼキヤは、表敬訪問してきた王の特使たちに、彼が所蔵していた宝物庫をひとつのこらず見せたのでした。外国の人たち羽振りのいいところ見せたかったのであり、要するに自慢したかったのでしょう。(13節)
 「香料」という言葉にもあの「トーブ(良い)」が使われ、ここで言われている言葉の意味は、神の目にどうかではなく、人の目にどう写るかという意味で、つまりヒゼキヤの心は人の目にどう見えるか。宝物を通じて自分の威光が人の目をいかに圧倒するかに心が傾き初めていたのでした。

 外国の特使たちは、ヒゼキヤに社交辞令を述べたでしょうけれど、表向きの美辞麗句とは裏腹に、密かにどうやって宝を強奪するかという略奪計画を思いめぐらしはじめたのは当時としてはごくありふれた流れだったのでしょう。
 ヒゼキヤの祈りはきかれて不治の病がいやされた後、預言者イザヤはヒゼキヤに「やがてすべての宝物がバビロニアに奪われ、あなたの子孫たちも幽閉され、奴隷や宦官にされるものがある」と将来の危機を伝えます。
 これを受けたヒゼキヤの言葉は「あなたの伝えてくれた主の言葉はありがたい」であり、聖書記者はこの言葉が「自分お存命中は自分の生活は安泰だ」という安堵感から語ったと伝えました。(19節)
 原文では語順も「良いことだ。あなたのくれた主の言葉は」となっていて、「良きこと」とあるここでも「トーブ」が使われます。
 ヒゼキヤにとって「良い」はすでに主の心でも、人目にどうのではなく、自分にとって良いこと。つまり、何でも自分が良ければ良いのであり、子孫たちがど うでもかまわないという考え方に変質していたのでした。原発を増設して、子孫たちに放射能汚染によて障害をもつものが生まれたとしてもかまわないといった自民党の地方議員のように。

 ヒゼキヤは祈りが叶えられて15年の余命が加えられるという約束を受けていました。15年は安泰。この安定でヒゼキヤの心に生まれたのは信仰とは裏腹に信仰の退廃でした。人が長く権力の座に就くと確実に堕落します。
 そのとき生まれた子どもは「マナセ」。マナセは歴代の王たちのなかで最悪の王として知られるようになりました。自分のことばかりしか考 えられなかったばかりでなく、子どもへの教育も完全に見失っていたのであり、ヒゼキヤの変化は内面も浸食していました。王国が滅亡したのは内部からでありユダ王国は「頭から腐っていった」のだといえます。
 ヒゼキヤの心に巣をつくった罪は、とくに人生の“勝ち組”と呼ばれる人々。自分の人生は成功だったと自覚している人々に訪れるさけようもない自己満足の心でした。自分さえ良ければいい。自分が生きているあいだ平温で豊かならあとはどうなってもかまわないという考え方が子孫にたいして「退廃」を継承してしまうのだと自覚しなければなりません。