Tokyo 3月25日(土) 
    

¶  安部政権のもとで、いったいどれくらいの“暗殺”がおこなわれたか定かではありません。現政権は近代の民主主義制度のなかで生まれた“変種”のようなもの で、独裁政権のやりかたそのままの、ごく普通の市民の目線でも、ナチスのまねごととをやっている腐臭がいたるところに漂います。この時期に、必死になって 証拠隠滅、証人の抹殺などに手をつけているようですが、どのように真実が明るみに出されるのかは時間の問題。政治家や官僚を含めた関係者たちは「すべて何 事もなかったように隠し通せる」と考えるようですが、もはや無理な段階なのではないかと思われます。物騒なことですが、自殺に見せかける工作もいろいろ案出されているようです。
 首相夫人付の小役人がぜんぶ勝手にやったということにして、殺したあとは「当事者が社会的責任を感じて自殺」・・・とかいうシナリオにしたいようですね。
 ただ唯一幸いなのは話題になっている誰かが死ぬ事象がおきると、ほとんどの国民が“殺された”と疑うレベルになっていることです。
 癌に冒された患部が表面に出てきているようなもので、検察がその気になっていればいくらでもアッキード疑獄は底なしの暗黒政治の体(てい)をなしている と見えるはずですが、いったい誰を恐れているのか、何に遠慮しているのか、誰を守っているのかわかりませんが、その気になっていないようにみえるのがとて も残念です。

¶ 「金(かね)だ。金さえあれば何でもできる。人生でもっとも大切なものは金(かね)である。」
 現実には“金銭を愛することがあらゆる悪の根”(テモテ書)なのですが、金のために失うものもいくつかあるのであり、聖書で言っている金銭欲のために キリスト信仰を相対化してしまうという人が現れる「背教」の事例の多くは、無知や誤った情報にも起因しますが、しかしその多くは、信仰のよりも 金(かね)に価値があるとみなしてキリスト信仰を見下してしまうことに起因します。信仰の価値という話題はひとまずおいて、最近わたしの会社の仕事関係で、金の力だけを信用すると、考える力(思考能力)の劣化が生まれるというテーマが話題になりました。
 わたしの先祖は、北海道の大草原に入植し、荒れ地を開墾して農地とした屯田兵でした。
 開拓農民のように、何もない原野で暮らして、たくさんの工夫が生まれました。道具も手作り、開拓方法も農地マネージメントも、ぜんぶ他人に任せることな く自分で考えなければらず、つまり、頭をつかうことになるのです。現代人はすべてが金の力で解決してしまうと勘違いし、そして努力しないでも、コンビニや スーパーや量販店、そしてネットショップがあるために、何でも金の対価で苦労せずに買い取ることができると考える傾向があります。そのかわりに考える力や何もないところから何かを生み出す力は劣化していると思います。江戸時代のことをなんでもかんでも礼賛する気はありませんが、玉川上水工事など江戸時代の治水技術などを調べてみると、江戸時代の人々のほうが現代人より頭が良かったのではないかと思われるほどです。もっとも思考能力や批判力の劣化は、現行の公明党が示すよ うに、カルトもしくはカルト化した宗教(キリスト教も含む)によっても惹起されるとはいえ・・・。

  お金は、何かを志すとき“あとからついてくるもの”にしか過ぎません。生きるために必要なものに違いないですが、絶対化して神のように 崇拝すると人を罠に陥れる“魔物”になります。生きるためにお金を稼ぎ出す必要がありますが、お金に支配される人生はおろかです。キリスト者ならすぐわかりますが、そうでなくても、金だけを追いかけていても、結局「今夜、おまえは死ぬ。おまえが貯め込んだ財産はいったい誰のものになるのか」という言葉に応 えられないでしょう。

¶ 日本会議は、保守を名目として、「日本の共産化」をめざしているといえます。公明党もめざすは“国立戒壇”であり、ひとつの宗教を礼拝しないものは罰せられるという古代オリエントのバアル崇拝の実現をめざしているのであって、その意味での日本の共産化をめざしているといえます。安部さんとその仲間たちは共産主義がお嫌いなようですが、日本会議なる集団の実態が如実に示すように、それは国民全体の自由や平等を尊んでいるからではなく、“国家の一大事においては、国家のために命を捧げよ”と国民を総動員できる宗教的一党独裁政治による国家の共産化をめざしているといえます。