Tokyo/Japan
2013/11/13
 
 マリア・シャラポア

  シャラポアさんが「ホーム・エジュケーションで育った」というと正確ではありません。
 しかし、これまでの半生は、事実上のホームスクーリング。一家は、母親が彼女を妊娠していた頃、チェルノブイリ事故に遭遇し、放射能汚染された地域を逃避したのでした。疎開の土地では極貧生活で学校に行かせるお金もなく、ただ唯一テニスを趣味としていた父親が4歳になったマリアにその才能を見いだしたのであり、父親が最初のテニスコーチになったのでした。
 表向きはともかく、それは事実上のホームスクーリングだったといえます。
 才能が開花し、そして磨かれたのは、母をロシアに残し、父と共に渡米してからでした。
 才能があるのであれば、そこに可能性はいくらでも開かれるというまさにアメリカンドリームをかたちにしたような人生でした。そして、親が最初の教師となったところに、意図せずとも、ホーム・エジュケーションの神髄が存在しているといえます。
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 シャラポアの人生が意味するのは、次の三つ。
    (1)子どもの才能や、潜在能力を引き出すのは、必ずしも専門家としての教師である必要はなく、その子どもの親であること。とりわけ、教育の専門家はごく狭い知識に特化しているだけであり、子どもをトータルな存在として受け入れ、そして完全にその行く道を手引きできて、子どもの第一人者であるのは、その子どもの親です。極悪な児童虐待事件を切り口として、行政は、親に固有な基本的人権である教育を奪い取ろうとするでしょう。日本の教育事情からすれは、現政権が推し進めようとしている戦前回帰のような“道徳教育”は、親の教育力を劣化させ、さらなる教育の堕落に拍車がかけられることになるでしょう。
  子どもたちを学校の弊害から守る責任は、誰にでもなく、その子の親に課せられている責任です。
  (2)米国社会の体質について。シャラポアは、貧しさに押しやられるように学校教育以外の道を歩まざるを得なかったのですが、結果としてそれが最善の道でした。仮に、もしロシアから米国ではなく日本に来ていたとしたら、現在のような才能が開花していたとは思われません。もし日本で生活したとしたら、本当に良いものは引き出されず、ソドムのように全く堕落した社会のなかで、その美貌のゆえ、おそらく低俗なお笑い芸能人並の扱いをされ、テニスの才能どころか、弄(もてあそ)ばれ、人間性までもが蝕まれていたであろうと思われます。日本ではなく米国で良かったと思います。米国が偽ユダヤに支配されているのは暗い部分であり、銃社会の弊害とか、米国の経済的弱体化とか、反英米という言葉が跋扈していても、その一方で、個人の才能の真価を最大限に引き出すことについて米国社会が、外国人に対しても、決して物惜しみしないという点は、日本人イチローばかりでなく、ロシア人シャラポアについてもいえるのであり、いいかえれば、米国の気風といいうか、外国人への“心意気”は、日本社会のどこに異常があるのかを再点検させてくれる材料になるかもしれません。
  (3)福島の被曝地から避難した人々の希望として。避難した先の地に、たとえ貧困や苦難がどれだけ伴ったとしても、必ず希望の光があります。希望がどこから湧き出すのかわからなくても、キリストから流れ出る希望はすべての人に開かれているといえます。
 キリストは死んで墓に葬られ、しかし、三日目に確かに復活したからです。
 すべての人々、しかし、とりわけ苦難のなかにある人々への希望の源泉がここにあります。
 シャラポアが、その両親が属していたロシア正教の信仰をどれくらい継承しているかは不明ですが、どこかに希望を繋ぎ止めて、人生を決して諦めずにいたら、そこに必ず明日が開かれるという証とされると思います。
 国が真実をいわないとしても、いずれにせよ、胎児や子ども、青少年は、被爆地から一刻でも早く逃れて、汚染の少ない地域に生きるべきです。明日はそこから開かれるでしょう。幼い子どもや婦女子は、放射能汚染された土地を離れる。
 とにかく、何度でもいいますが、すべてはそこからだと思います。

マリア・シャラポア物語(テレビ番組)
http://www.youtube.com/watch?v=OBKn0n4YzIg

ポルシェが、マリア・シャラポアをブランドアンバサダーに起用。
http://f1-gate.com/porsche/sharapova_19128.html